根津八紘

根津八紘(ねつ・やひろ)

医師、チャリティー書画家



<略歴>

1942 長野県東筑摩郡本郷村(現 松本市)に生まれる
洋画家・故 関四郎五郎先生に師事(本郷小学校時代)
1958 松本深志高校アカシア会(美術部)所属
1964〜1965 日本画家・小岩井秀鳳先生に師事(信州大学医学部時代)
1966 松本と長野両市にある喫茶店“窓”にて個展
1980 ギャラリー諏訪(諏訪市)にてチャリティー個展
1990 “チャリティー画家”を宣言井上百貨店(松本市)にてチャリティー個展
1991 丸光百貨店(諏訪市)とギャラリー彩美堂(下諏訪町)にてチャリティー個展
2001 書画家宣言全国の有名デパート・百貨店にてチャリティー書画展を開催
2004〜2005 スペシャルオリンピックス冬季世界大会長野協賛・日本縦断チャリティー個展を6月から沖縄県那覇市よりスタート、全国8ヶ所にて開催
2006 根津八紘美術館開設
2012 高原のミュージアム(富士見町)にて書画展
2013 伊那市にて根津八紘チャリティー書画展

 


私は、
“右で書き 左で描いて 両で診る”
H15.10.2詠む

“私はギッチョです
昔はギッチョと呼ばれいじめられました
けど今はギッチョしかできないことを沢山持ってます
眼の見えない人も 耳の聴こえない人も
きっとそうだと思います”
H15.12.20詠む

右で書を書き(描き)、左手で絵を描き
両手で産婦人科医をしています。
絵も書も、私の性格とは正反対かもしれませんが
“美しさと優しさを求めて”
H2.2.10詠む

をその心としています。

私と絵

父が絵を嗜んでいた関係で、物心ついた頃には私は三度の飯よりも絵を描くことが好きになっていました。小学校5年生の時自分の力だけで描くことに行き詰まりを感じ、母の勧めで洋画家故関四郎五郎先生に師事。その後、勉学のため幾度となく絵筆を折ることとなりましたが、やはり絵を忘れることができず、医学部時代に日本画家故小岩井秀鳳先生に師事。

産婦人科医となり開業して14年目の1990年。予てより友人が知的障害児施設の開設を望んでいた為その設立に関与、その際、絵を販売でもお役に立とうと決心し、購入して頂けるような絵を描く為に活を入れ直し画家宣言。その時からチャリティー画家として活動しています。

百日紅-根津八紘

私と書

私の人生における書との関わりは、幼少期の一月二日の書き初めに始まりました。私は三人の兄達と共に座卓の前に並び、物差しを持った父より厳しく指導され、結局はいつも涙の中で最後の一枚を完成させていたのです。そのため、正月はとても待ち遠しかったのですが、二日は一年の内で最も迎えたくない日であり、それもあってか書き初めと書道の授業以外では書を書くことはありませんでした。

医学部に入り講義のノートをとることが多くなったものの、元々利き手ではない右手に矯正をして字を書くようになっていたため長時間の筆記は思うように行かず、最後には何を書いてあるのか解らないような字となっていました。それを改めようと大学ノートに筆で日記をつけ出し、折角書くのならと本屋で手にした大貫思永編書“書道実習教範”を手本としながら独学で習字を始め、卒業後には勤務地の沖縄で通信教育“教育書道日本習字”を受講し、二年後には最高位の観峰賞を条幅において頂くこととなりました。しかしその後は自己流での書となり、それを書というには余りにも恥ずかしいため私は絵字と称しています。

開院当初より、絵字にて当院(諏訪マタニティークリニック)で生まれた赤ちゃんの名前を色紙に書いて差し上げていたため、その絵字の個性は更に磨(未学?)かれることとなりました。2001年6月に開催したチャリティー書画展を機に書画家宣言をし、今日に至っています。

生まれ育った信州の自然とともにこれからも生き、そして描き続けていこうと思います。

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